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あなたの知らない世界はかなり懐かしいです。毎回見ていました。
今のハロウィンの行進もおかしな流行りだと思う
1999年はノストラダムスの大予言よりも2000年問題のほうが盛り上がってました。当時、友人5,6人でチャットしながら何も起きなかったねと2000年を迎えた思い出。
当時はSEをやっていてY2Kと言ってとても怖かった
2000年元日午前0時には終夜運転の全ての電車が停車して安全確認を行っていました。
ローラーゲーム見てました! 「ああー! ヨーコが怒った!」っていうセリフ、今でも覚えている。
昭和時代にブームになったことと言えば「血液型性格分類」と「頭の体操」な気がします。図書館のノストラダムスの大予言と一緒にこれらの本が並んでいたのが記憶に残ってます😊これらの本と一緒にこの選択肢を選んだら何ページというゲームブックもよく一緒に借りていましたっけ😅
中学の技術の時間に作ったラジオでいつも聴こえて来たのは「およげたい焼き君」だったな。オカルトブームやらUFOブームとかもイチイチ全部覚えてる。ノストラダムスの大予言は著書が出る前に少年雑誌に特集が組まれてるのを読んだ。東京ボンバーズの河野ビンゴとか懐かしいものだらけでしたよ。
ローラースケート持っている友達の家に集まって,東京ボンバーズを応援してから、舗装された駐車場でスケートを借りて遊んだ思い出。
昭和のブームと聞いてパッと浮かぶのはファミコン、ビックリマンやドキドキ学園などのシール付きお菓子、キン肉マンやキャプテン翼などのジャンプアニメなどですね( ´∀`)
人面犬ブームもあったねノストラダムスとか受けいられのが当時、冷戦中で核戦争の恐怖もあったからね
前後編楽しく視聴させて頂きました。およげたいやきくんのスピンオフ?的な歌、およげたい焼き屋のおじさんって曲を所ジョージさんが歌ってますねぇカップリング当時B面(笑)のいっぽんでもニンジンは、なぎら健壱さんが歌ってましたねぇあなたの知らない世界は小中学時代に夏休みに怖いの苦手な癖に毎日見て恐怖してました(笑)
およげ!たいやきくんの大ヒットに便乗してか、山本リンダさんが「私の恋人、たいやきくん!」というアンサーソングを1976年にリリースしました。たいやきくんに恋焦がれた「もう1枚の」たいやきが追いかけるという内容で、オリジナルソングを第三者の視点で見ているという感じでした。(「たいやきくんがおじさんに食べられたのを『誰が』見ていたのか?」というミステリーの解答にもなります、最後は「おじさんわたしも すぐにたべてよ おなかの中で 会えるから」)他にも横山ノックさんの「ガンバレ!たこやきちゃん」など数多くの便乗ソングがリリースされました。
ブームと言うほどではないですが、川口探検隊も好きだったなぁ。やらせを信じる純粋な心があったんだなぁ。
長い洞窟から一人目の隊員が出てくるシーンが出口から撮られてたり、全員揃ったとこが空撮されてても疑いませんでした。
やまふ
♪川口浩がー洞窟に入るーカメラマンとー照明さんのー後に入るー
@@Yanbo35 様嘉門達夫さんの「ゆけ!ゆけ!川口浩!」ですね。(苦笑)
近年藤岡弘、さんが探検隊長になってましたね。
あなたの知らない世界は、子供の頃良く見ていました。おもしろかったですよ。
見ていたら親に怒られたけど、今の不安を煽るようなニュースまがいの番組よりもいい…
およげ!たいやきくんは、子門真人が印税契約を結ばなかったことを悔やんでましたね。めちゃくちゃ売れたのに、支給されたのは僅か2万円だったとか。
大金をつかみ損ねた
B面のなぎら健壱が儲けた
低迷していたフジテレビは、この印税を元手にして会社体制を刷新し、80年代の大躍進を遂げましたとさフジテレビの神様は、子門真人さんなんだよ
@@roki-kr4ux そうです( ´艸`)
たしかレコード会社が同情して特別支給で200万円子門真人に挙げたと思う。
ローラースケート、車がほとんど来ない田舎の車道でやってたなぁ。たまには車が通るから一回ぐらいは運転手をヒヤッとさせたかもしれない……。
ウチは近所に住む人のお古をもらったものの、運動音痴だったのでやりこなせなかった…
ムテキングは?クロダコブラザーズ好きやったんやけどなぁ
オカルトやUFOがブームになったころ、漫画の「魔太郎がくる」とか「うしろの百太郎」とかが描かれてて人気となりその延長線上に「ブラックジャック」もあったんです連載当初のブラックジャックは医療漫画とかヒューマン漫画じゃなくて、恐怖コミックで、単行本の帯にも、そう書いてありました
エコエコアザラクもこの頃だった気がする
『恐怖コミック』は数巻あとには『ヒューマンコミック』に名前を変えてました『あ、変わってるわ(笑)』と背表紙みてニヨニヨしてました
ルービックキューブとかインナースケートとか両親のが実家にありますキューブは一個貰って勉強の合間とかに今でも愛用させて頂いてます楽しいですよね全面揃った時の達成感が半端ないですインナースケートは靴のサイズが合わなかったから貰ってないですが実家に帰省した時は中にスポンジ入れて滑ったりしていましたが現在はやってないですね久しぶりにまた引っ張り出して滑ってみようかな昭和のブームたちだったのが衝撃でしたいろんな遊びがあって羨ましく思います
毎年夏になるとお昼のワイドショーで心霊特集見てました😅昼間やから見たけど、夜なら絶対トイレ🚻行けない位怖かった😱
昭和のブーム他にも「スーパーカーブーム」「口裂け女」「ガンダムブーム」「なめ猫」なんかもありましたよね。
心霊ブームで心霊スポットへ友達と行って実際霊らしきものを見てしまいました。ノストラダムスの大予言はかなり信じ込み、逃げるために防災グッズとか買いあさりました。
小学校のころ図書室に心霊写真集が3冊あったw
早見優ちゃんがcokeのcmで履いてたのがすごく可愛くて好きでした💌
UMAがなかったのが残念ですね。 ネッシー、雪男(イエティ)、日本では、ツチノコやニューネッシーなど。
屈斜路湖のクッシー、徳川埋蔵金、カッパのミイラ
俺らの頃はとんでも戦士ムテキングが流行ったときにローラースケートが流行ったな
ムテキング懐かしい!アンチのクロダコブラザーズを思い出す…
ムケテングって呼んでたよ。
光GENJIの時にもローラースケート流行りました
ムテキングはアメリカンなテイストで、他のアニメから浮いていた。
スケート場でローラー♪ヒーロー♪と歌いながら大手を振って滑ってムテキングだ!と喝采を浴びていたバカな俺の小学校時代。
ローラースケートにルービックキューブは今でも時々引っ張り出して遊んでますね(^.^)両方とも販売当時の物でローラースケートのベアリングは2回取り替えてます。
ルービックキューブは、円柱型や4面など類似品もあって、あとにスネイクキューブというのもあった…
@@西島浩-n8q さんへそうですね、形の違うのも面白いとは思った!が、自分は兎に角スタンダードの物で完成時間を縮める事に夢中だったねf(^_^)最初は30分以上掛かったけど、2分30秒台までにはなった。それでも、大会には出れるタイムには届いてなかったらなぁ( ̄з ̄)
アメリカではSilly cube(バカキューブ)って呼ばれているよね?
後、懐かしい昭和ブームと言えば・・・「スーパーカー(消しゴム)」(Boxyのボールペンとセット)・「アメリカンヨーヨー」(何故か近所の駄菓子屋に『世界チャンピオン』が来るという1w)「インヴェーダー」(当時、母ちゃんの財布から小銭をちょろまかす小学生が急増!)・「角川映画」(3人娘ですネ!渡辺典子以外は健在!w)等が挙げられますか?
Boxyのボールペンはペンとして扱ってなかった
あっ!!そういえば!あのチャンピオンは詐欺だったのか!!
ルービックキューブはブームの時、うちにもありましたよ~パチモンの・・・
ローラーゲームの司会は土井まさるさん、解説が安部譲二(『塀の中の懲りない面々』など)さんでした
どれもこれも懐かしいですね。後は心霊ブームの時に心霊手術ってのもありましたね手だけで患者さんの悪いところを手術してしまう奴。後は大人も子供も夢中になった、ボウリングブーム、女子プロの中山律子プロとライバルの須田加代子プロの対決に、真空飛び膝げりの、キックの鬼の沢村忠プロが活躍しとキックボクシングブームですね
心霊手術は東南アジアの人だったような、ブルースリーのヌンチャク、大山倍達の極真空手
昭和の方がなんか夢があって面白く毎日楽しめたよな?😢
再現ドラマといえば、ウィークエンダーですよね。。。
日米対抗ローラーゲーム夢中になって見てたな。実況は土居まさるだったかな東京ボンバーズ懐かしいwルービックキューブ流行ったねバッタモンもたくさんあったけど
始業時間前にポンキッキ、クラスみんなでしれ~っと観てました。子どもながらに、どんなに努力しても自分の出自は越えられないという切ない歌と解釈してました。
ルービックキューブのところ、「正規品だけでも、発売から8か月間で…」という言い方で非正規品もいっぱい出回ったことを示唆してるw。実際、ブーム絶頂期は正規品が入手困難で、繁華街の路上売りとか、どこもかしこも非正規品であふれてた。微妙に噛み合わせが悪くて回転しにくかったり。
ウチはポートピア'81呪の時に、4面の類似品を買ってもらった。数十年後、無印でモノトーンのモノも発売された…
余談ですが、霊夢さん、魔理沙ださん、私は、以前も話しましたが、泳げたいやきくんのレコードを持っていましたね。昭和49年に買いましたね。当時私は小学校の四年生でしたね。😞🤔😚✌️🙋❗💓
チクタクバンバンっておもちゃあったな~🙂
ローラースケート語るなら「とんでも戦士ムテキング」を忘れちゃいけないんだぜ。
1984年頃、心霊ブームが再来して、ワイドショーでは亡くなった芸能人の霊を呼び出したりするのもあった。また、サスペリアというイタリア映画をテレビで見たり、当時の二時間ドラマもけっこうミステリアス描かれていた…
樹海や恐山は無くなった
オカルトブームと言えばケイブンシャの「大百科」シリーズで心霊写真を特集した本がけっこう発売されていましたねぇ。😑
ポンキッキで流れてたコーデッツのLOLLIOPOPはいまでも大好きぶっちゃけ歌えます心霊写真にもはまったなぁ昔大洋図書で出した心霊写真大全は今でも持ってます
コーデッツのLOLLIOPOPいいよね
たいやきくんブームの終息は春になって鯛焼き食べる人が減ったからで、12月リリースがもう少し早ければもっと売れた、と当時言われていました。
ポンキッキといえば昔「しつけコーナー」があって、故ペギー葉山さんが出演していたのを覚えています。
爪を切りなさいとか言ってた…
ヨーヨーブームも有ったなぁ全米チャンピオンと名乗る外国人が町の駄菓子屋に来て、いろんな技を見せてくれた。確かコカ・コーラのヨーヨーがブームのきっかけだったはず。
私が小学生の頃、"口裂け女"が流行り暗くなると現れて「私、綺麗?」と聞いてきてマスクを外すみたいな...
スゲー汚えって言ったらどうなったんだろう…
たいやき君は子門氏の歌あってのヒットだと思いますね。あれを普通に児童合唱団や女性歌手が綺麗に歌っても全く刺さらなかっただろうなと。
子門真人さんは私が通っていた学校の理事長と親交があり、菅平高原で行われたスキー教室にもゲストで来て、歌を披露。泳げたいやきくんは歌ったかは覚えていませんが、サザンのいとしのエリーを歌われたのは覚えています…
@@西島浩-n8q えっ 子門氏のサザン・・? き 聞いてみたい・・・(ゴクリ
そーいやちょっと前に有線でおよげたいやきくん流れてたけど、なぜか女性の声でしたな( ・д・)
@西島浩それはすごくうらやましい話です子門さんの生歌、いつ聴いてもすさまじい歌唱力でした。功績にふさわしい対価が全く与えられていない偉人ですよね
@@songbooktube1161 「対価」と言う面では確かにそうでしょうね。「名誉」と言う面でも一発屋呼ばわりされているのは不当だと思います。仮に持ち歌の印税契約をしていたとしたら、今ならカラオケでの印税が結構入って来たでしょうし。
およげたいやきくん 子門真人にはギャラが全く入らなかった 話もあったな😃
およげたいやきくんのジャケットの裏は塗り絵になっていた❗️日米対抗ローラーゲーム東京ボンバーズ好きで憧れたよ
およげたい焼きくんには、ぬりえが付いていたんですよ。しかし1枚紙か入っていない。当時は二人兄弟が多く、ぬり絵のためにもう1枚親が購入して、通常の倍近い売上になったようです。その後、レコード業界では「おまけ」によって売上を伸ばす方法が定着しました。
コピーすればよくね?
@@奥村隆昭 シャレで仰っているのか…?この頃日本に、ふつうにコピーできる施設などなく、あるとしても、「青焼」と言われるコピーだけ。とても使えたものじゃなかった一般にコピー機が身近に扱えるようになるまでは、ここから5年を待たなければならなかった
@@奥村隆昭 さん小学校はガリ版、書類は手書き、キーパンチャーという職業もあった、これが昭和の社会常識、コピーではない、複写機と言うんだよ
およげたいやき君が流れてたあの頃、焼芋屋のオッチャンが、ほれたさつまいも君っていううたが流行らへんか?と、10歳の私に聞いてこられたのを思い出しました。
オグリキャップとトウカイテイオーブームは忘れられませんね!!!
流行ったというか当時あった玩具で「くるくるテレビ」ってのがあったけどあれは何か良かった。普通に見れば30秒程度だったからすぐ飽きるのが難点だったけど。のちに自分でくるくるしなくても自動で動くってのが出てたけどそれってもはやテレビと同じで意味はないんじゃ?と思ったな。
くるくるテレビ! あったあった! なんかのクイズ番組で「スカの賞品」になってましたね。
流行と言えばたまごっちと思ったけど、これは平成なのか~。デジタルインベーダー(カシオの電卓)も高校の時に流行りました。心霊ブームと言えば「月刊ムー」を読んでました。
若いころにある事情で毎日お昼のワイドショー見てたな再現ドラマが不倫からの刃傷沙汰とかばっかなんだよなw怪奇以外も別の怖さがあった
関西の読売テレビ制作、2時のワイドショーのコーナーで、「嫁と姑の110番」、「夫婦110番」の、ドロドロしたえげつない再現ドラマはハマった…
動画で取り上げられていないブームと言えば口裂け女がありましたね。当時小学生か中学生でしたが、大人になってから「ポマードと言うと助かる」「べっこう飴が好物」等の設定を知りました。
@@ネコは天の愛 様「えびがわ町の妖怪カフェ」(上田信舟先生)では飴職人との逢瀬のため夜盗から身を守るために口が裂けたようなメイクをしていて、やがて職人と結ばれ幸せな生涯を終えたが気が付いたら口裂け女になっていたという話がありました。口唇口蓋裂という先天性の障がいへの差別になるという抗議からあっけなく消えたそうですね。
昭和のオカルト再現ドラマから演者の演技でそこに何かがいるという認識を誘った映像手法って多発した気がする、大人の事情なのか何なのか頑なに ” そのもの ” を再現しなかったからw後年知ったけどたいやきくんはシンガー的には全く旨みが無かったそうですね。
「泳げ!たいやきくん」のカップリングはなぎら健壱の「いっぽんでもニンジン」なんですよね。
今回の動画では、心霊写真・ルービックキューブ・ノストラダムスが、えぐるように刺さってきました(笑いやぁ、どれも懐かしいです。特にルービックキューブは当時非正規品の奴を持ってた憶えがあります。逆にローラースケートについては自分の周りでは特に流行ってませんでした。70年代のブームの頃はわかりませんが、光GENJIのブーム時も特にですね。地元が北海道なので、土地柄年間の半分が雪に埋もれる土地だったのと、移動などの手段は自転車が主だったことが理由かもしれません。
ローラースケートは舗装された広場でないとできないよね、履いて滑って見たが膝擦りむいてやめた、一台のローラースケートを使いまわしていた
スーパーカーブームは凄かった❗️テレビでゴールデンタイムに二時間特番やってたもんな!ポルシェとかカウンタックのプラモデルがめちゃめちゃ売れてたハズやと思う。
ポルシェとかカウンタックなどのスーパーカーはプラモデルの大定番ですね。
スーパーカーの展示会はちびっ子がカメラ持って集まった
ダイキャストのミニカーやラジコンカー、それにスラロームによるカーサーキットもあった。もちろんカー消しも…
いや懐かしすぎる‼️
懐かしい。あなたの知らない世界よく夏休みの時お昼にやるから好きでした。そして、スペシャルがあると見ていました。
ボーリングブームも凄かった。土曜日昼下に女子プロの試合中継も放送してた。うちのバカ親爺はアマ試合でトロフィーや置き時計、トースター、テレビなんか賞品貰って来たな。オカルトでは心霊写真で煽っときながら、プロの写真家がトリックや原因を暴く番組も有ったよ。1977年にクラスメートが何故かルービックキューブ持ってた。
家の写真を引っ張り出して「心霊写真」を探したことがある
私の家🏠の近くのスーパーの中にモンペリエというパン屋さんがあります。モンペリエがノストラダムスゆかりの街だと後で知りました。
ルービックキューブだけでは無く、いろんなルービックパズルが発売されていましたね。🙂
ポートピア'81の限定品や、無印良品のモノトーンもあった…
自動露出どころか多重露光を防止するメカすら付いていないとか、ひどいフレアを起こすレンズのついたフィルムカメラが普通だった時代、多重露光の加減で不気味なものが撮れちゃったりしたんですよね。でも心霊写真鑑定家はそういう故障自体が霊の仕業だなんて言っていて、霊もなかなか器用です。
心霊写真鑑定が職業として成り立っていたて時代ですねw
ハイセイコーが週刊少年マガジンの表紙になってたのは!びっくりしてます
唄にもなった「さらばハイセーコー」
@@shinobuito9482 ハイセイコーの主戦騎手だった増沢末夫が歌ってた。
五島勉氏はすごい天才だったな。稀代の天才ってやつだ。自身の創作で日本国民を何十年に渡って振り回したんだからな。
確かルービックキューブはツクダオリジナル以外のメーカーもパチモンを販売してた。ツクダオリジナルだとキューブを手で回したときに発生する独特のガリガリ音と感触があるんだけれど、パチモンはそれがなかったのですぐにわかった。だけどパチモンはすぐに分解ができてたので、色を合わせることできなくても分解して色を合わせて再組立てしてたな。
4面や円柱型、5角型などあった…
ちゃんと回って色合わせできる小さめのキーホルダータイプもあったよね
ノストラダムスの大預言は野球では当たってたなぁ 1999年 その時背番号7 だった井口のホームランでダイエーの優勝が決まって 空からダイエーの王監督降ってきたからなぁ
平成のインラインスケートは、真っ先に思い浮かべるのはccさくら・・・
ポンキッキでは歌のリクエストが行われていたから、「およげたいやきくん」は後々になっても流れていました。
およげたい焼きくんが売れたおかげでできたのがポニーキャニオン。
傾いていたポニーキャニオンがビル建てた位に儲かった。
『ノストラダムス~』は五島勉のリアルフィクションだったと後に認めてるそうですヒトラーの出現やらなんやらの中には英国情報部によるヒトラーを引っかける為のフェイクも結構混ざってるそうです
ヨーヨー流行りましたよ。人気だった柄はコカ・コーラとスプライトでしたね。HI-Cは今いちでした。15年くらい前に一度復刻しましたが速攻買いましたw
ヨーヨーはスケバン刑事の時に流行りました他にもビー玉
心霊番組というと水曜スペシャルか木曜スペシャルかは忘れましたが、霊能者に呼び出された女性の霊が今は廃屋となった生家に戻ろうとするも、生家に巣くう怨霊に阻まれて入れず、家屋が音を立てて揺れるという場面を震えながら見ていたら、隣の家からは馬鹿笑いが聞こえて(何見てんだろ?)と思ったら、隣も同じ番組を見てたというオチがありましたw(演出を爆笑してたそうです)ああ、本気でテレビ番組を信じていた幼き日よ
バブルの頃、宜保愛子とか、前田和敬という尼さんの霊能者の番組多かったが、今の不安を煽るようなニュースショーのほうがたち悪い…
ノストラダムスの大予言、1990年代突入してからは特にTVなどですごい話題になってたみたいだから、当時小学生だった私は信じちゃって、「本当に終わってしまうの・・・?」って怖かったですね。親があまりオカルト的なものは信じないタイプだったので、親には「多分大丈夫なんじゃない?」とかなんとか言われましたけど。
心霊ブームもそうだけどUFOブームもあった。ピンクレディー「UFO」、UFOロボ・グレンダイザー、UFO戦士ダイアポロンなどUFO関連の唄や漫画アニメがいっぱいだった。日清焼きそば「UFO」もこの頃新発売だったかな。UFO戦士ダイアポロンの主題歌はおよげたいやきくんの子門真人さんが歌っていたはず。あなたの知らない世界もそうだけどミステリーゾーンって番組が好きだったな。
UFOロボ・グレンダイザーの主題歌を歌っていたのは「和製プレスリー」のささきいさお。
@@pastelpureakgjze5791 確かにグレンダイザーの唄はささきいさおさんですね。
「紅茶キノコ」とかも懐かしい。「ノストラダムスの大予言」もそうだけど、米ソ東西冷戦で「核戦争」とかオイルショックなどの「エネルギー危機」、環境汚染による「公害」など漫画や映画・テレビ番組のテーマになったものが多かったし、20世紀も後期に入ったこともあって暗い世紀末ものも流行った。漫画「北斗の拳」の連載が流行ったことなんかも世紀末に関連した暗い未来かな?
1999年って何か怖いよね、SEやってたのだが1999年6月頃からの世間がざわついた、2000年1月1日に何が起きるのか怖かった
紅茶キノコは、現在でいうコンブチャ。
あなたの知らない世界懐かしい!今心霊写真みてもフォトショップと思われそうですね
『およげ!たいやきくん』を歌った子門真人さんは一般では「たいやきくんだけの一発屋」と思われてますが、『レッツゴー!!ライダーキック』『ガッチャマンの歌』等の特撮・アニメソングをたくさん歌っておられるので、並の人気歌手より歌が知られているかもしれません。あと細かい話を言うと「光 GENJI」ではなくて「光GENJI」と詰めて書くのが正しい表記です。
+ファイナル弁当様子門真人さんは他にもあの「STAR WARS」の日本語版テーマ曲を歌ってました。あとマジンガーZのカバーも歌ってますね。死亡説も出てますけど2023年5月現在ご健在だそうです。
@@古澤修-b1m 「STAR WARS」の日本語版とは逆の『ウルトラセブンの歌』の英語版も歌っておられました。
ルービックキューブは分解して揃えてたなw
前回動画のコメント「こっくりさん、後編で出るかな?」2:42当たった!
ローラースケートに関しては「とんでも戦士ムテキング」にも触れて欲しかった。アレの影響で結構周りでローラースケートやってた人間いたし(もちろん自分も・・・)
ムテキングは当時のアニメとしては異例なアメリカンな雰囲気だったから、他の作品から浮いていて次の時間のサザエさんとのギャップが大きかったのを覚えています。
ルービックキューブを全面揃えられなくて分解して揃えた
あるある自分もそう‼︎
びんぼーローラーねめちゃくちゃはまったわ
新倉イワオ先生。懐かしいです😊
泳げ鯛焼き君は1976年に大ブームとなりましたね。(最初は1975年12月にひらけ!ポンキッキで放送され、翌年の1976年からNHKのみんなのうたにもランクインされることになります。)ローラースケートは1970年代後半(1977年頃)~1980年代に大流行しました。(光GENJIの歌に出てきたのは1988年です。)ルービックキューブ(四角い玩具)は1980年代(1984年頃)からあります。どれもおかしくないですよ…
信じやすい日本人。今も、昔も❗
「あなたの知らない世界」は、学校の休みになる時期に流れてた記憶あります。
70年代の田舎中学生にとってベルボトムのGパンをはいて、フォークソングやビートルズのレコードを町まで汽車やフラッシャー付き自転車に乗って買いに行くのがブームでした。校則なので上半身は学ラン&学帽でしたが・・・
キター、あなたの知らない世界!!夏休みはメチャクチャ視てた!!!こっくりさんか…。やったことは無いけど周囲のヤツらがやっていたし、神社の境内でやって帰ってくれないとかでヤバくなった。およげたいやきくん…。なんか、たい焼き食いたくなってきた…うぐぅ。ローラーゲーム、リアル世代じゃないから詳しく知らないけど、東京ボンバーズは聞いた事あるなぁ。ルービックキューブ、最後はシールを剥がしてエライコトになった。ツクダオルジナル、まさか、現在のメガハウスだと?
「およげ~」のB面(もはや死語)は、なぎら健壱さんの「一本でもニンジン」でしたね。
ローラーゲームといえば、キチキチマシン猛レースとかのハンナバーベラでもそんな作品なかった?あとあの国民的人気ユニットになったSMAPも、元はスケボを。
それがしが小学生の時です‼️只今58歳ですょ😝それがしが好きだった、コミックは、題名は忘れたけど、エコエコ‼️アザラク‼️と後ろの100太郎‼️です‼️懐かしいです🙄
楳図かずおのオロチ
コックリさんて一人やっても絶対にコインが動かないんだよね(笑)
やったことないけど、あれって同調圧力で、周りがパニックになるとか。私はそんなの信じねーて、シラケてるかも…
昭和のファッションもスゲーのあったよね肩パットのエグいスーツとかジャンバー、形状が餃子みたいなジョッパーズパンツ(カラシ色人気)しかし面白い世の中でした♪
「ノストラダムスの大予言」の映画、見てみたいなぁ。
およげ!たいやきくんの、レコード持ってました。
最後に出てきたノストラダムスの大予言の全く同じ本、持ってまーす♪🤩 あと、泳げたいやき君は当時も大好きだったし、今でも良い歌だなぁーって思います!子門真人さんの低い野太い声が、広い海を表現している様で心地よい感じがします。(﹡ˆ﹀ˆ﹡)♡~💓💞☆彡
1999年に地球が爆発すると思っていたのに結局何も起きなかった
あの話を聞いて、最初、ものすごく不安になった…
Y2K、世界中のSEを恐怖のどん底に落とした
あなたの知らない世界はかなり懐かしいです。毎回見ていました。
今のハロウィンの行進もおかしな流行りだと思う
1999年はノストラダムスの大予言よりも2000年問題のほうが盛り上がってました。
当時、友人5,6人でチャットしながら何も起きなかったねと2000年を迎えた思い出。
当時はSEをやっていてY2Kと言ってとても怖かった
2000年元日午前0時には終夜運転の全ての電車が停車して安全確認を行っていました。
ローラーゲーム見てました! 「ああー! ヨーコが怒った!」っていうセリフ、今でも覚えている。
昭和時代にブームになったことと言えば「血液型性格分類」と「頭の体操」な気がします。図書館のノストラダムスの大予言と一緒にこれらの本が並んでいたのが記憶に残ってます😊これらの本と一緒にこの選択肢を選んだら何ページというゲームブックもよく一緒に借りていましたっけ😅
中学の技術の時間に作ったラジオでいつも聴こえて来たのは
「およげたい焼き君」だったな。
オカルトブームやらUFOブームとかもイチイチ全部覚えてる。
ノストラダムスの大予言は著書が出る前に少年雑誌に特集が組まれてるのを読んだ。
東京ボンバーズの河野ビンゴとか懐かしいものだらけでしたよ。
ローラースケート持っている友達の家に集まって,東京ボンバーズを応援してから、舗装された駐車場でスケートを借りて遊んだ思い出。
昭和のブームと聞いてパッと浮かぶのはファミコン、ビックリマンやドキドキ学園などのシール付きお菓子、キン肉マンやキャプテン翼などのジャンプアニメなどですね( ´∀`)
人面犬ブームもあったね
ノストラダムスとか受けいられのが
当時、冷戦中で核戦争の恐怖もあったからね
前後編楽しく視聴させて頂きました。およげたいやきくんのスピンオフ?的な歌、およげたい焼き屋のおじさんって曲を所ジョージさんが歌ってますねぇ
カップリング当時B面(笑)のいっぽんでもニンジンは、なぎら健壱さんが歌ってましたねぇ
あなたの知らない世界は小中学時代に夏休みに怖いの苦手な癖に毎日見て恐怖してました(笑)
およげ!たいやきくんの大ヒットに便乗してか、山本リンダさんが「私の恋人、たいやきくん!」という
アンサーソングを1976年にリリースしました。
たいやきくんに恋焦がれた「もう1枚の」たいやきが追いかけるという内容で、オリジナルソングを第三者の
視点で見ているという感じでした。(「たいやきくんがおじさんに食べられたのを『誰が』見ていたのか?」
というミステリーの解答にもなります、最後は「おじさんわたしも すぐにたべてよ おなかの中で 会えるから」)
他にも横山ノックさんの「ガンバレ!たこやきちゃん」など数多くの便乗ソングがリリースされました。
ブームと言うほどではないですが、川口探検隊も好きだったなぁ。やらせを信じる純粋な心があったんだなぁ。
長い洞窟から一人目の隊員が出てくるシーンが出口から撮られてたり、全員揃ったとこが空撮されてても疑いませんでした。
やまふ
♪川口浩がー洞窟に入るーカメラマンとー照明さんのー後に入るー
@@Yanbo35 様
嘉門達夫さんの「ゆけ!ゆけ!川口浩!」ですね。(苦笑)
近年藤岡弘、さんが探検隊長になってましたね。
あなたの知らない世界は、子供の頃良く見ていました。
おもしろかったですよ。
見ていたら親に怒られたけど、今の不安を煽るようなニュースまがいの番組よりもいい…
およげ!たいやきくんは、子門真人が印税契約を結ばなかったことを悔やんでましたね。めちゃくちゃ売れたのに、支給されたのは僅か2万円だったとか。
大金をつかみ損ねた
B面のなぎら健壱が儲けた
低迷していたフジテレビは、この印税を元手にして会社体制を刷新し、80年代の大躍進を遂げましたとさ
フジテレビの神様は、子門真人さんなんだよ
@@roki-kr4ux
そうです( ´艸`)
たしかレコード会社が同情して特別支給で200万円子門真人に挙げたと思う。
ローラースケート、車がほとんど来ない田舎の車道でやってたなぁ。たまには車が通るから一回ぐらいは運転手をヒヤッとさせたかもしれない……。
ウチは近所に住む人のお古をもらったものの、運動音痴だったのでやりこなせなかった…
ムテキングは?
クロダコブラザーズ好きやったんやけどなぁ
オカルトやUFOがブームになったころ、漫画の「魔太郎がくる」とか「うしろの百太郎」とかが描かれてて人気となり
その延長線上に「ブラックジャック」もあったんです
連載当初のブラックジャックは医療漫画とかヒューマン漫画じゃなくて、恐怖コミックで、単行本の帯にも、そう書いてありました
エコエコアザラクもこの頃だった気がする
『恐怖コミック』は数巻あとには『ヒューマンコミック』に名前を変えてました
『あ、変わってるわ(笑)』と背表紙みてニヨニヨしてました
ルービックキューブとかインナースケートとか両親のが実家にあります
キューブは一個貰って勉強の合間とかに今でも愛用させて頂いてます
楽しいですよね
全面揃った時の達成感が半端ないです
インナースケートは靴のサイズが合わなかったから貰ってないですが実家に帰省した時は中にスポンジ入れて滑ったりしていましたが現在はやってないですね
久しぶりにまた引っ張り出して滑ってみようかな
昭和のブームたちだったのが衝撃でした
いろんな遊びがあって羨ましく思います
毎年夏になるとお昼のワイドショーで心霊特集見てました😅昼間やから見たけど、夜なら絶対トイレ🚻行けない位怖かった😱
昭和のブーム他にも「スーパーカーブーム」「口裂け女」「ガンダムブーム」「なめ猫」なんかもありましたよね。
心霊ブームで心霊スポットへ友達と行って実際霊らしきものを見てしまいました。ノストラダムスの大予言はかなり
信じ込み、逃げるために防災グッズとか買いあさりました。
小学校のころ図書室に心霊写真集が3冊あったw
早見優ちゃんがcokeのcmで履いてたのがすごく可愛くて好きでした💌
UMAがなかったのが残念ですね。
ネッシー、雪男(イエティ)、日本では、ツチノコやニューネッシーなど。
屈斜路湖のクッシー、徳川埋蔵金、カッパのミイラ
俺らの頃はとんでも戦士ムテキングが流行ったときにローラースケートが流行ったな
ムテキング懐かしい!アンチのクロダコブラザーズを思い出す…
ムケテングって呼んでたよ。
光GENJIの時にもローラースケート流行りました
ムテキングはアメリカンなテイストで、他のアニメから浮いていた。
スケート場で
ローラー♪ヒーロー♪
と歌いながら大手を振って滑ってムテキングだ!と喝采を浴びていたバカな俺の小学校時代。
ローラースケートにルービックキューブは今でも時々引っ張り出して遊んでますね(^.^)
両方とも販売当時の物でローラースケートのベアリングは2回取り替えてます。
ルービックキューブは、円柱型や4面など類似品もあって、あとにスネイクキューブというのもあった…
@@西島浩-n8q さんへ
そうですね、形の違うのも面白いとは思った!
が、自分は兎に角スタンダードの物で完成時間を縮める事に夢中だったねf(^_^)
最初は30分以上掛かったけど、2分30秒台までにはなった。
それでも、大会には出れるタイムには届いてなかったらなぁ( ̄з ̄)
アメリカではSilly cube(バカキューブ)って呼ばれているよね?
後、懐かしい昭和ブームと言えば・・・
「スーパーカー(消しゴム)」(Boxyのボールペンとセット)・「アメリカンヨーヨー」(何故か近所の駄菓子屋に『世界チャンピオン』が来るという1w)
「インヴェーダー」(当時、母ちゃんの財布から小銭をちょろまかす小学生が急増!)・「角川映画」(3人娘ですネ!渡辺典子以外は健在!w)
等が挙げられますか?
Boxyのボールペンはペンとして扱ってなかった
あっ!!そういえば!あのチャンピオンは詐欺だったのか!!
ルービックキューブはブームの時、うちにもありましたよ~
パチモンの・・・
ローラーゲームの司会は土井まさるさん、解説が安部譲二(『塀の中の懲りない面々』など)さんでした
どれもこれも懐かしいですね。後は心霊ブームの時に心霊手術ってのもありましたね
手だけで患者さんの悪いところを手術してしまう奴。後は大人も子供も夢中になった、ボウリングブーム、女子プロの中山律子プロとライバルの須田加代子プロの対決に、真空飛び膝げりの、キックの鬼の沢村忠プロが活躍しとキックボクシングブームですね
心霊手術は東南アジアの人だったような、ブルースリーのヌンチャク、大山倍達の極真空手
昭和の方がなんか夢があって面白く毎日楽しめたよな?😢
再現ドラマといえば、ウィークエンダーですよね。。。
日米対抗ローラーゲーム夢中になって見てたな。実況は土居まさるだったかな
東京ボンバーズ懐かしいw
ルービックキューブ流行ったね
バッタモンもたくさんあったけど
始業時間前にポンキッキ、クラスみんなでしれ~っと観てました。
子どもながらに、どんなに努力しても自分の出自は越えられないという切ない歌と解釈してました。
ルービックキューブのところ、「正規品だけでも、発売から8か月間で…」という言い方で非正規品もいっぱい出回ったことを示唆してるw。実際、ブーム絶頂期は正規品が入手困難で、繁華街の路上売りとか、どこもかしこも非正規品であふれてた。微妙に噛み合わせが悪くて回転しにくかったり。
ウチはポートピア'81呪の時に、4面の類似品を買ってもらった。数十年後、無印でモノトーンのモノも発売された…
余談ですが、霊夢さん、魔理沙ださん、私は、以前も話しましたが、泳げたいやきくんのレコードを持っていましたね。昭和49年に買いましたね。当時私は小学校の四年生でしたね。😞🤔😚✌️🙋❗💓
チクタクバンバンっておもちゃあったな~🙂
ローラースケート語るなら「とんでも戦士ムテキング」を忘れちゃいけないんだぜ。
1984年頃、心霊ブームが再来して、ワイドショーでは亡くなった芸能人の霊を呼び出したりするのもあった。また、サスペリアというイタリア映画をテレビで見たり、当時の二時間ドラマもけっこうミステリアス描かれていた…
樹海や恐山は無くなった
オカルトブームと言えばケイブンシャの「大百科」シリーズで心霊写真を特集した本がけっこう発売されていましたねぇ。😑
ポンキッキで流れてたコーデッツのLOLLIOPOPはいまでも大好き
ぶっちゃけ歌えます
心霊写真にもはまったなぁ
昔大洋図書で出した心霊写真大全は今でも持ってます
コーデッツのLOLLIOPOPいいよね
たいやきくんブームの終息は春になって鯛焼き食べる人が減ったからで、12月リリースがもう少し早ければもっと売れた、と当時言われていました。
ポンキッキといえば昔「しつけコーナー」があって、故ペギー葉山さんが出演していたのを覚えています。
爪を切りなさいとか言ってた…
ヨーヨーブームも有ったなぁ
全米チャンピオンと名乗る外国人が町の駄菓子屋に来て、いろんな技を見せてくれた。
確かコカ・コーラのヨーヨーがブームのきっかけだったはず。
私が小学生の頃、"口裂け女"が流行り暗くなると現れて「私、綺麗?」と聞いてきてマスクを外すみたいな...
スゲー汚えって言ったらどうなったんだろう…
たいやき君は子門氏の歌あってのヒットだと思いますね。あれを普通に児童合唱団や
女性歌手が綺麗に歌っても全く刺さらなかっただろうなと。
子門真人さんは私が通っていた学校の理事長と親交があり、菅平高原で行われたスキー教室にもゲストで来て、歌を披露。泳げたいやきくんは歌ったかは覚えていませんが、サザンのいとしのエリーを歌われたのは覚えています…
@@西島浩-n8q
えっ 子門氏のサザン・・? き 聞いてみたい・・・(ゴクリ
そーいやちょっと前に有線でおよげたいやきくん流れてたけど、なぜか女性の声でしたな( ・д・)
@西島浩
それはすごくうらやましい話です
子門さんの生歌、いつ聴いてもすさまじい歌唱力でした。功績にふさわしい対価が全く与えられていない偉人ですよね
@@songbooktube1161 「対価」と言う面では確かにそうでしょうね。「名誉」と言う面でも一発屋呼ばわりされているのは不当だと思います。仮に持ち歌の印税契約をしていたとしたら、今ならカラオケでの印税が結構入って来たでしょうし。
およげたいやきくん 子門真人にはギャラが全く入らなかった 話もあったな😃
およげたいやきくんのジャケットの裏は塗り絵になっていた❗️日米対抗ローラーゲーム東京ボンバーズ好きで憧れたよ
およげたい焼きくんには、ぬりえが付いていたんですよ。しかし1枚紙か入っていない。
当時は二人兄弟が多く、ぬり絵のためにもう1枚親が購入して、通常の倍近い売上になったようです。
その後、レコード業界では「おまけ」によって売上を伸ばす方法が定着しました。
コピーすればよくね?
@@奥村隆昭 シャレで仰っているのか…?
この頃日本に、ふつうにコピーできる施設などなく、あるとしても、「青焼」と言われるコピーだけ。とても使えたものじゃなかった
一般にコピー機が身近に扱えるようになるまでは、ここから5年を待たなければならなかった
@@奥村隆昭 さん
小学校はガリ版、書類は手書き、キーパンチャーという職業もあった、これが昭和の社会常識、コピーではない、複写機と言うんだよ
およげたいやき君が流れてたあの頃、焼芋屋のオッチャンが、ほれたさつまいも君っていううたが流行らへんか?と、10歳の私に聞いてこられたのを思い出しました。
オグリキャップとトウカイテイオーブームは忘れられませんね!!!
流行ったというか当時あった玩具で「くるくるテレビ」ってのがあったけどあれは何か良かった。普通に見れば30秒程度だったからすぐ飽きるのが難点だったけど。のちに自分でくるくるしなくても自動で動くってのが出てたけどそれってもはやテレビと同じで意味はないんじゃ?と思ったな。
くるくるテレビ! あったあった! なんかのクイズ番組で「スカの賞品」になってましたね。
流行と言えばたまごっちと思ったけど、これは平成なのか~。
デジタルインベーダー(カシオの電卓)も高校の時に流行りました。
心霊ブームと言えば「月刊ムー」を読んでました。
若いころにある事情で毎日お昼のワイドショー見てたな
再現ドラマが不倫からの刃傷沙汰とかばっかなんだよなw
怪奇以外も別の怖さがあった
関西の読売テレビ制作、2時のワイドショーのコーナーで、「嫁と姑の110番」、「夫婦110番」の、ドロドロしたえげつない再現ドラマはハマった…
動画で取り上げられていないブームと言えば口裂け女がありましたね。当時小学生か中学生でしたが、大人になってから「ポマードと言うと助かる」「べっこう飴が好物」等の設定を知りました。
@@ネコは天の愛 様
「えびがわ町の妖怪カフェ」(上田信舟先生)では飴職人との逢瀬のため夜盗から身を守るために
口が裂けたようなメイクをしていて、やがて職人と結ばれ幸せな生涯を終えたが気が付いたら口裂け女に
なっていたという話がありました。
口唇口蓋裂という先天性の障がいへの差別になるという抗議からあっけなく消えたそうですね。
昭和のオカルト再現ドラマから演者の演技でそこに何かがいるという
認識を誘った映像手法って多発した気がする、大人の事情なのか何なのか
頑なに ” そのもの ” を再現しなかったからw
後年知ったけどたいやきくんはシンガー的には全く旨みが無かったそうですね。
「泳げ!たいやきくん」のカップリングはなぎら健壱の「いっぽんでもニンジン」なんですよね。
今回の動画では、心霊写真・ルービックキューブ・ノストラダムスが、えぐるように刺さってきました(笑
いやぁ、どれも懐かしいです。特にルービックキューブは当時非正規品の奴を持ってた憶えがあります。
逆にローラースケートについては自分の周りでは特に流行ってませんでした。70年代のブームの頃はわかりませんが、光GENJIのブーム時も特にですね。地元が北海道なので、土地柄年間の半分が雪に埋もれる土地だったのと、移動などの手段は自転車が主だったことが理由かもしれません。
ローラースケートは舗装された広場でないとできないよね、履いて滑って見たが膝擦りむいてやめた、一台のローラースケートを使いまわしていた
スーパーカーブームは凄かった❗️
テレビでゴールデンタイムに二時間特番やってたもんな!
ポルシェとかカウンタックのプラモデルがめちゃめちゃ売れてたハズやと思う。
ポルシェとかカウンタックなどのスーパーカーはプラモデルの大定番ですね。
スーパーカーの展示会はちびっ子がカメラ持って集まった
ダイキャストのミニカーやラジコンカー、それにスラロームによるカーサーキットもあった。もちろんカー消しも…
いや懐かしすぎる‼️
懐かしい。あなたの知らない世界よく夏休みの時お昼にやるから好きでした。そして、スペシャルがあると見ていました。
ボーリングブームも凄かった。
土曜日昼下に女子プロの試合中継も放送してた。
うちのバカ親爺はアマ試合でトロフィーや置き時計、トースター、テレビなんか賞品貰って来たな。
オカルトでは心霊写真で煽っときながら、プロの写真家がトリックや原因を暴く番組も有ったよ。
1977年にクラスメートが何故かルービックキューブ持ってた。
家の写真を引っ張り出して「心霊写真」を探したことがある
私の家🏠の近くのスーパーの中にモンペリエというパン屋さんがあります。モンペリエがノストラダムスゆかりの街だと後で知りました。
ルービックキューブだけでは無く、いろんなルービックパズルが発売されていましたね。🙂
ポートピア'81の限定品や、無印良品のモノトーンもあった…
自動露出どころか多重露光を防止するメカすら付いていないとか、ひどいフレアを起こすレンズのついたフィルムカメラが普通だった時代、多重露光の加減で不気味なものが撮れちゃったりしたんですよね。でも心霊写真鑑定家はそういう故障自体が霊の仕業だなんて言っていて、霊もなかなか器用です。
心霊写真鑑定が職業として成り立っていたて時代ですねw
ハイセイコーが週刊少年マガジンの表紙になってたのは!びっくりしてます
唄にもなった「さらばハイセーコー」
@@shinobuito9482 ハイセイコーの主戦騎手だった増沢末夫が歌ってた。
五島勉氏はすごい天才だったな。稀代の天才ってやつだ。
自身の創作で日本国民を何十年に渡って振り回したんだからな。
確かルービックキューブはツクダオリジナル以外のメーカーもパチモンを販売してた。
ツクダオリジナルだとキューブを手で回したときに発生する独特のガリガリ音と感触があるんだけれど、パチモンはそれがなかったのですぐにわかった。だけどパチモンはすぐに分解ができてたので、色を合わせることできなくても分解して色を合わせて再組立てしてたな。
4面や円柱型、5角型などあった…
ちゃんと回って色合わせできる小さめのキーホルダータイプもあったよね
ノストラダムスの大預言は野球では当たってたなぁ 1999年 その時背番号7 だった井口のホームランでダイエーの優勝が決まって 空からダイエーの王監督降ってきたからなぁ
平成のインラインスケートは、真っ先に思い浮かべるのはccさくら・・・
ポンキッキでは歌のリクエストが行われていたから、「およげたいやきくん」は後々になっても流れていました。
およげたい焼きくんが売れたおかげでできたのがポニーキャニオン。
傾いていたポニーキャニオンがビル建てた位に儲かった。
『ノストラダムス~』は五島勉のリアルフィクションだったと後に認めてるそうです
ヒトラーの出現やらなんやらの中には英国情報部によるヒトラーを引っかける為のフェイクも結構混ざってるそうです
ヨーヨー流行りましたよ。人気だった柄はコカ・コーラとスプライトでしたね。
HI-Cは今いちでした。15年くらい前に一度復刻しましたが速攻買いましたw
ヨーヨーはスケバン刑事の時に流行りました
他にもビー玉
心霊番組というと水曜スペシャルか木曜スペシャルかは忘れましたが、霊能者に呼び出された女性の霊が今は廃屋となった生家に戻ろうとするも、生家に巣くう怨霊に阻まれて入れず、家屋が音を立てて揺れるという場面を震えながら見ていたら、隣の家からは馬鹿笑いが聞こえて(何見てんだろ?)と思ったら、隣も同じ番組を見てたというオチがありましたw(演出を爆笑してたそうです)
ああ、本気でテレビ番組を信じていた幼き日よ
バブルの頃、宜保愛子とか、前田和敬という尼さんの霊能者の番組多かったが、今の不安を煽るようなニュースショーのほうがたち悪い…
ノストラダムスの大予言、1990年代突入してからは特にTVなどですごい話題になってたみたいだから、当時小学生だった私は信じちゃって、「本当に終わってしまうの・・・?」って怖かったですね。
親があまりオカルト的なものは信じないタイプだったので、親には「多分大丈夫なんじゃない?」とかなんとか言われましたけど。
心霊ブームもそうだけどUFOブームもあった。
ピンクレディー「UFO」、UFOロボ・グレンダイザー、UFO戦士ダイアポロンなど
UFO関連の唄や漫画アニメがいっぱいだった。日清焼きそば「UFO」もこの頃新発売だったかな。
UFO戦士ダイアポロンの主題歌はおよげたいやきくんの子門真人さんが歌っていたはず。
あなたの知らない世界もそうだけどミステリーゾーンって番組が好きだったな。
UFOロボ・グレンダイザーの主題歌を歌っていたのは「和製プレスリー」のささきいさお。
@@pastelpureakgjze5791
確かにグレンダイザーの唄はささきいさおさんですね。
「紅茶キノコ」とかも懐かしい。
「ノストラダムスの大予言」もそうだけど、米ソ東西冷戦で「核戦争」とかオイルショックなどの「エネルギー危機」、環境汚染による「公害」など漫画や映画・テレビ番組のテーマになったものが多かったし、20世紀も後期に入ったこともあって暗い世紀末ものも流行った。
漫画「北斗の拳」の連載が流行ったことなんかも世紀末に関連した暗い未来かな?
1999年って何か怖いよね、SEやってたのだが1999年6月頃からの世間がざわついた、2000年1月1日に何が起きるのか怖かった
紅茶キノコは、現在でいうコンブチャ。
あなたの知らない世界懐かしい!今心霊写真みてもフォトショップと思われそうですね
『およげ!たいやきくん』を歌った子門真人さんは一般では「たいやきくんだけの一発屋」と思われてますが、『レッツゴー!!ライダーキック』『ガッチャマンの歌』等の特撮・アニメソングをたくさん歌っておられるので、並の人気歌手より歌が知られているかもしれません。
あと細かい話を言うと
「光 GENJI」
ではなくて
「光GENJI」
と詰めて書くのが正しい表記です。
+ファイナル弁当様
子門真人さんは他にもあの「STAR WARS」の日本語版テーマ曲を歌ってました。
あとマジンガーZのカバーも歌ってますね。
死亡説も出てますけど2023年5月現在ご健在だそうです。
@@古澤修-b1m 「STAR WARS」の日本語版とは逆の『ウルトラセブンの歌』の英語版も歌っておられました。
ルービックキューブは分解して揃えてたなw
前回動画のコメント
「こっくりさん、後編で出るかな?」
2:42当たった!
ローラースケートに関しては「とんでも戦士ムテキング」にも触れて欲しかった。アレの影響で結構周りでローラースケートやってた人間いたし(もちろん自分も・・・)
ムテキングは当時のアニメとしては異例なアメリカンな雰囲気だったから、他の作品から浮いていて次の時間のサザエさんとのギャップが大きかったのを覚えています。
ルービックキューブを全面揃えられなくて分解して揃えた
あるある
自分もそう‼︎
びんぼーローラーねめちゃくちゃはまったわ
新倉イワオ先生。
懐かしいです😊
泳げ鯛焼き君は1976年に大ブームとなりましたね。(最初は1975年12月にひらけ!ポンキッキで放送され、翌年の1976年からNHKのみんなのうたにもランクインされることになります。)ローラースケートは1970年代後半(1977年頃)~1980年代に大流行しました。(光GENJIの歌に出てきたのは1988年です。)ルービックキューブ(四角い玩具)は1980年代(1984年頃)からあります。どれもおかしくないですよ…
信じやすい日本人。今も、昔も❗
「あなたの知らない世界」は、学校の休みになる時期に流れてた記憶あります。
70年代の田舎中学生にとってベルボトムのGパンをはいて、フォークソングやビートルズのレコードを町まで汽車やフラッシャー付き自転車に乗って買いに行くのがブームでした。校則なので上半身は学ラン&学帽でしたが・・・
キター、あなたの知らない世界!!
夏休みはメチャクチャ視てた!!!
こっくりさんか…。やったことは無いけど周囲のヤツらがやっていたし、
神社の境内でやって帰ってくれないとかでヤバくなった。
およげたいやきくん…。なんか、たい焼き食いたくなってきた…うぐぅ。
ローラーゲーム、リアル世代じゃないから詳しく知らないけど、東京ボンバーズは聞いた事あるなぁ。
ルービックキューブ、最後はシールを剥がしてエライコトになった。
ツクダオルジナル、まさか、現在のメガハウスだと?
「およげ~」のB面(もはや死語)は、なぎら健壱さんの「一本でもニンジン」でしたね。
ローラーゲームといえば、キチキチマシン猛レースとかのハンナバーベラでもそんな作品なかった?
あとあの国民的人気ユニットになったSMAPも、元はスケボを。
それがしが小学生の時です‼️只今58歳ですょ😝それがしが好きだった、コミックは、題名は忘れたけど、エコエコ‼️アザラク‼️と後ろの100太郎‼️です‼️懐かしいです🙄
楳図かずおのオロチ
コックリさんて一人やっても絶対にコインが動かないんだよね(笑)
やったことないけど、あれって同調圧力で、周りがパニックになるとか。私はそんなの信じねーて、シラケてるかも…
昭和のファッションもスゲーのあったよね
肩パットのエグいスーツとかジャンバー、形状が餃子みたいなジョッパーズパンツ(カラシ色人気)
しかし面白い世の中でした♪
「ノストラダムスの大予言」の映画、見てみたいなぁ。
およげ!たいやきくんの、レコード持ってました。
最後に出てきたノストラダムスの大予言の全く同じ本、持ってまーす♪🤩
あと、泳げたいやき君は当時も大好きだったし、今でも良い歌だなぁーって思います!子門真人さんの低い野太い声が、広い海を表現している様で心地よい感じがします。
(﹡ˆ﹀ˆ﹡)♡~💓💞☆彡
1999年に地球が爆発すると思っていたのに結局何も起きなかった
あの話を聞いて、最初、ものすごく不安になった…
Y2K、世界中のSEを恐怖のどん底に落とした